令和7年度・令和8年度の2段階の税制改正により、所得税の非課税ライン(いわゆる「年収の壁」)は103万円から178万円へと大幅に引き上げられました。令和8年度税制改正法は2026年3月31日に国会で可決・成立し、令和8年分(2026年1月1日以後の所得)から適用されます。
この改正は、パートやアルバイトで働く方の手取り増加にとどまらず、顧問先企業の給与計算・源泉徴収・年末調整業務にも直接影響します。さらに今回の改正では、物価上昇に連動して控除額を2年ごとに見直す「スライド制」も新たに導入されました。
税理士・会計士として、顧問先に正確かつタイムリーな情報を届けることが、今まで以上に重要になっています。本記事では、改正の全体像から実務上の注意点、そして付加価値提案の切り口まで、会計事務所が押さえておくべきポイントを体系的に解説します。
年収の壁178万円とは?|2段階改正の全体像
「年収の壁178万円」は一度の改正で実現したわけではありません。令和7年度と令和8年度の2段階にわたる税制改正の結果として到達した数字です。まずは改正の経緯と、178万円という数字の内訳を正確に把握しておきましょう。
103万円から178万円へ|2段階で実現した引き上げの経緯
所得税の非課税ライン(給与所得者にとっての「年収の壁」)は、長らく103万円のまま据え置かれていました。これは基礎控除48万円と給与所得控除55万円(最低保障額)を合算した水準です。
この数字が動いたのは、令和7年度(2025年)税制改正です。約30年ぶりの見直しとなったこの改正では、基礎控除に特例上乗せが設けられ、また給与所得控除の最低保障額も引き上げられたことで、非課税ラインは一気に160万円まで引き上げられました。
【参考】令和7年度税制改正による所得税の基礎控除の見直し等について
さらに令和8年度(2026年)の税制改正では、消費者物価指数(CPI)の上昇率を踏まえた控除額の上積みが行われ、非課税ラインは178万円へとさらに拡大しました。令和8年分(2026年1月1日以後の所得)に適用されるこの水準が、現在注目されている「178万円の壁」です。
「年収の壁」を構成する2つの控除の改正内容
178万円という数字は、基礎控除と給与所得控除の合計から成り立っています。
基礎控除の改正
令和8年分・令和9年分の基礎控除は、本則62万円に特例上乗せが加わる構造です。合計所得金額655万円以下の方に特例が適用され、そのうち489万円以下の方は特例42万円が上乗せされ最大104万円、489万円超655万円以下の方は特例5万円が加わり67万円となります。655万円超2,350万円以下の方は本則62万円のみです。なお、この特例は令和8・9年分の時限措置であり、令和10年分以後は適用対象が合計所得金額132万円以下に縮小され、加算額も37万円に減少します。
給与所得控除の改正
給与所得控除の最低保障額は、令和7年分の65万円から令和8・9年分では69万円(本則)に特例5万円が加わり、計74万円へと引き上げられました。この特例5万円も令和8・9年分の時限措置です。
この結果、令和8・9年分において合計所得金額489万円以下(給与収入ベースで概ね665万円以下)の給与所得者については、基礎控除104万円と給与所得控除74万円の合計178万円の範囲内に収まるため、所得税は発生しない構造となっています。
各種所得控除の所得要件の見直し
同一生計配偶者や扶養親族として認定される合計所得金額の上限も引き上げられています(令和7年分:58万円以下→令和8年分以後:62万円以下)。また、勤労学生控除の所得要件も85万円以下から89万円以下へと拡大されました。年末調整の際の扶養控除等申告書の記載内容に直結するため、実務担当者は早めに確認しておく必要があります。
【参考】令和8年度税制改正の大綱|財務省
スライド制の導入|今後も変わり続ける「年収の壁」
今回の改正で特に重要なのが、スライド制の導入です。「178万円」という数字は固定ではなく、今後も物価の動きに応じて変化し続けます。この仕組みを正確に理解しておくことが、顧問先への長期的なアドバイスの基盤となります。
消費者物価指数に連動する控除額の仕組み
スライド制とは、消費者物価指数(CPI)の上昇率に基づいて、基礎控除および給与所得控除の本則部分の額を2年ごとに見直す仕組みです。
この仕組みにより、インフレが続く局面では控除額の本則が上がり続け、「年収の壁」の水準も段階的に切り上がっていきます。反対に、物価が安定・下落する局面では引き上げ幅が縮小または据え置きとなる可能性もあります。
【参考】令和8年度税制改正の大綱|財務省
スライド制導入が顧問先に与える影響
スライド制の導入は、会計事務所の実務に継続的な対応を求めます。2年ごとに控除額の本則が改定されるため、そのたびに源泉徴収税額表や年末調整の計算根拠が見直されます。顧問先の給与担当者がその変化を見落とさないよう、定期的な情報提供と業務フローの確認が求められます。
また、スライド制の存在は顧問先の従業員にとっても重要な情報です。「年収の壁はこれからも物価に連動して変化し続ける」という前提を共有することで、働き方の計画を柔軟に考えてもらいやすくなります。会計事務所がこうした情報発信の窓口となることで、顧問関係の深化にもつながるでしょう。
社会保険の壁との関係|所得税改正との違いを整理する
「年収の壁178万円」の話題に触れると、顧問先の経営者や従業員からは「社会保険はどうなるのか」という疑問が必ず出てきます。所得税の「年収の壁」と社会保険の「壁」は根拠となる法律が異なる別の制度であり、今回の税制改正の対象は所得税に限られます。この点を明確に整理して伝えることが、会計事務所としての信頼につながります。
所得税改正と社会保険は別の話
社会保険には大きく2つの壁があります。
ひとつは「130万円の壁」です。これは健康保険法上の被扶養者認定基準であり、年収が130万円未満であれば配偶者の健康保険・厚生年金の扶養に入ることができます。130万円以上になると被扶養者の資格を失い、自ら社会保険に加入して保険料を負担しなければなりません。今回の税制改正ではこの基準は変わっていません。
もうひとつは「106万円の壁」です。週20時間以上勤務・月額賃金8万8,000円以上・従業員数51人以上の企業に勤めるなどの条件を満たす場合、年収130万円未満であっても自ら社会保険に加入する義務が生じます。厚生労働省はこの賃金要件について将来的な撤廃の方向性を示していますが、2026年4月時点では確定していないため、断定的な説明は避ける必要があります。
「手取りが減る」ケースを把握して顧問先にアドバイス
所得税の非課税ラインが178万円になったからといって、年収を178万円近くまで増やせば必ず手取りが増えるわけではありません。社会保険の壁を超えた瞬間に健康保険・厚生年金保険料の自己負担が発生するため、たとえば年収が130万円を少し超えた水準では社会保険料の負担が手取りを大きく押し下げる場合があります。
会計事務所として顧問先の経営者や人事担当者にアドバイスする際は、所得税と社会保険の両面から年収帯ごとの手取りを試算したシミュレーションを用いることで、実態に即した説明が可能になります。
会計事務所の実務への影響|年末調整・給与計算業務の変更点
今回の税制改正は、顧問先企業の日常的な給与実務に直接影響します。変更点を正確に把握し、顧問先への事前周知と実務対応を進めておくことが重要です。
源泉徴収・給与計算における注意点
令和8年1月支払い分からは、令和7年度改正の本則部分(基礎控除58万円・給与所得控除65万円)を反映した令和8年分源泉徴収税額表が適用されています。
ただし令和7年度改正の特例上乗せ分(37万円等)はこの税額表に織り込まれておらず、年末調整でのみ精算されます。さらに令和8年度改正による本則の追加引き上げ分(基礎控除62万円・給与所得控除69万円)の月次源泉徴収への反映は令和9年1月以後となり、特例上乗せ分(基礎控除42万円・給与所得控除5万円)についても年末調整でのみ適用されます。
扶養控除等申告書・所得要件の変化への対応
扶養に関する所得要件が引き上げられたことで、これまで控除の対象外だった家族が新たに対象に入るケースも想定されます。顧問先の従業員に対して、令和8年分の年末調整(2026年12月)に向けて家族の所得状況を改めて確認するよう案内しておくことが望ましいです。
特に注意が必要なのは、扶養親族の合計所得金額の上限が58万円から62万円に引き上げられた点です。
顧問先の従業員から「家族を扶養に入れられますか」という問い合わせが増えることが予想されるため、会計事務所として回答の準備を整えておくと良いでしょう。
顧問先への付加価値提案|改正を活かした経営支援のヒント
「年収の壁178万円」は、単に従業員の手取りが変わるという話ではありません。顧問先企業の採用戦略、シフト管理、人件費計画にまで波及する経営課題です。税理士・会計士がこの改正を切り口に付加価値提案を行うことで、顧問関係をより深めるチャンスにもなります。
パート・アルバイト採用に積極的な企業へのアドバイス
飲食・小売・介護・サービス業など、パートやアルバイトを多く雇用する業種では、「年収の壁」の引き上げが採用活動の追い風になります。「所得税がかからない年収ラインが178万円まで拡大した」という点は、求職者への働きやすさの訴求に活用できます。ただし、社会保険の壁や住民税の取り扱いは所得税とは別であるため、従業員や求職者に対して「所得税の話に限った内容」であることを正確に伝えることが重要です。
一方で、従業員が以前より多く働くようになれば、当然ながら人件費も増加します。顧問先の経営者に対しては、人件費の増加が収益に与える影響を事前に試算し、価格転嫁や業務効率化とセットで検討するよう促すことが重要です。税務顧問としての専門性を活かしながら、経営の実態に踏み込んだ提案ができることが、選ばれる会計事務所の条件となっています。
財務・補助金支援も含めた総合的なサポート体制の構築
税制改正への対応は、税務面だけに限りません。人件費増を見据えた資金繰りの見直し、業務効率化のための設備投資に活用できる補助金・助成金の案内、さらには賃上げ促進税制の活用など、複数の切り口から顧問先を支援できる体制を整えておくことが理想的です。
しかし、こうした多角的な支援を一つの事務所で賄うには、知識・情報・ノウハウの蓄積が欠かせません。税制改正の内容を正確に把握し、それを顧問先への具体的な提案に落とし込む力こそが、今後の会計事務所の差別化要因となります。
まとめ
「年収の壁」は178万円に引き上げられ、物価スライド制により今後も2年ごとに見直され続けます。社会保険の壁との違いを正確に把握し、顧問先に実態に即した情報を届けることが、選ばれる会計事務所への第一歩です。
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